クラブ・レコルト NO.22
2006年9月発行
「やあ、久しぶりだね!」
「大変ご無沙汰を致しておりました。」
「『クラブ・レコルト』廃刊にしたんだって!?」
「ひ!・・・・・・」
「そういえばハガキが数回届いていたようだな」
「そ、そうなんですよ。催しのご連絡のため、数回ハガキを送らせていただきました。」
「『クラブ・レコルトを毎月出す!って言ってたじゃない。ウソつき!』
「う、き・・・・ご、ごめんなさあい!!」
大変ご無沙汰を致しております。
レコルト亭主でございます。
毎度レコルトをご利用いただき、ありがとうございます。
店主ともども心より感謝申し上げます。
さて、僕こと「レコルト亭主」改め「西坂町のナマケモノ」「多治見の大法螺吹き男」は、
今回久方ぶりにレコルト・メンバーズさまのお手元に、
この『クラブ・レコルト』最新版第22号をお届けできることになりました。
どうぞ最後までお読みくださいますようお願い申し上げます。
先日の「ブルーベリー収穫祭」では多数のご来店をいただき、本当にありがとうございました。
今回は自家製ブルーベリー&ブルーベリー・ジャムを使った、店主手作りの“レア・チーズ・タルト”を、
ご来店いただいたみなさまに召し上がっていただきました。
多数お褒めのお言葉も頂戴して、店主はすっかりいい気になっています。
いい気になった勢いで、当店3周年のプレゼントもご用意してしまったと申しております。
本人の説明をこのまま読み続けていただけますでしょうか?
(亭主近影)
3周年記念プレゼント!
おかげさまでレコルトもこの9月末を持ちまして3周年を迎えます。
みなさまに支えられての、あっという間の3年でした。
今回、3周年の記念品として、何かみなさまに差し上げられるものをとかねてから考えておりましたが、
ちょっぴりレコルトらしい、雰囲気のあるものを思いつき、密かに準備を進めて参りました。
プレゼントのお品は当日まで内緒!
10月末日まで、洋服をお買い上げいただいた方に、
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お買い上げ1点につき1個
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お買い上げ¥10,000(税込)以上の場合、2個
以降¥5,000単位で1個ずつプラスさせていただきます。
秋物が日を追って更に入荷してきており、陳列に追われるこの頃。新作もたくさんご披露できそうです!
秋らしいお飲み物もご用意してお待ちしておりますので、どうぞ遊びにいらしてくださいね。
エッセンシャルオイル
お客様からよくご質問を頂くことのひとつが、当店で使用しているエッセンシャルオイルのこと。
主なものは
【ラベンダー】リラックス効果
【ローズマリー】集中力を高めたい時
【ユーカリ】リフレッシュしたい時。また、のどや鼻の痛み、炎症を抑える効果(風邪や花粉症に・・・・)
一種類だけの場合は、以上のものを使うことが多いですが、一番頻繁に使っているのがラベンダーです。
また、エッセンシャルオイルは単一で使うよりも、何種類かをブレンドする方が相乗効果によって、
その効果が高まると言われています。
そのブレンドオイルとしましては
【目覚ましブレンド】(リフレッシュ)
気分をリフレッシュしたい時に。元気の出ない日や朝の目覚めの時に役立ってくれます。
ジュニパーベリー・パインニードル・スパイクラベンダー・ベルガモット・ゼラニウムなど
【アンチストレス】
ストレスを感じた時に。気分の高まりを楽にし、鎮めてくれます。
真性ラベンダー・マンダリン・ベルガモット・クラリセージなど。
【ローズ&ゼラニウム】
ローズオイルがブレンドされた女性のためのブレンド。PMSや更年期対策に。
ゼラニウム・マンダリン・ローマンカモミール・サンダルウッドなど。
こちらはローズ&ゼラニウムをよく使います。
植物の香りの成分を「エッセンシャル・オイル」と呼び、その様々な効果を使って心と体の健康に役立てようというのが
「アロマテラピー(芳香療法)」です。
動くことのできない植物が外敵から身を守り、味方を呼び寄せ、
自らの傷を癒すために産み出した、自然治癒のための宝箱。
その力を大切に、適切に使うことで、私たちは豊かな自然の恩恵を
体と心いっぱいに受け取ることができています。
まだ取り組めていない方も、全然遅くはありません。
大変手軽ですので、ご自身のため、ご家族のためにも、今から始めてみませんか?
美しい日本人
息子へ・・・
その一、男がカツ丼を食べる意味
正直に言って、君は小食すぎる。
小学3年生という、歳の頃合を充分考慮に入れてもである。
食べるスピードもあまりに遅い。
まるで幼稚園児並だ。
でもまあ、今はまだそれでも良い。
そのうち体がもっと大きくなり、父と並ぶ位になり、スポーツ等も真剣に始めるようになると、
今の君の体つきも、毎日の食事の仕方も、食べる物も、全てが激変していくだろう。
咀嚼する時さえ惜しむように、ご飯をわしわしわしと、口の中へひたすら掻き込むようになるだろう。
今日の話は、君がそこまで成長してからのことである。
今の君は、この素晴らしき食べ物の存在すら、未だ知り得ないのだ。
君が高校生となると、部活の休日練習が終わった後、それは当たり前の様に、
「腹が減った」と誰とも無く口にし出すようになる。
部活仲間と何処そこで腹ごしらえをしていこうという話を毎度の如くするようになってくる。
では一体何を食べようか、という議論が起こる中、
「えーと、うーんと、ハンバーガー!」
という私見をもしも君が述べた瞬間、
父は君に対して、向こう3年間小遣い全額カットの処分を即座に通達せねばならない。
断言する。
そんな時に食べるべきものは、決してハンバーガーなどではない。
底知れぬ疲労感と空腹感を覚えた健康な男子高校生にとって、
ひたすらに美しく、美味しく、感動的な食べものと言えば、
それは「カツ丼」を置いて他にはない。
それも可能な限り「大盛り」を選択すべきである。
太宰も芥川も川端も、そして終に三島も、彼等は不思議と文壇に置いては
『大盛りカツ丼』についての己の考察を他人に言及したり、文章として遺す事は決して無かった。
何故あれだけの人物達にして『大盛りカツ丼』に触れた随筆を書くことさえ、
手帳に端書を書くことさえしなかったのか。
その孤高な存在そのものが当時既に不可触=アンタッチャブルであったのか。
今もってそれは謎である。
いつか発見されるかも知れないが、今のところ現存する資料は何も無い。
しかし彼等はきっと何らかの形で遺して置たかったに違いない。
遺したかったのだが、夫々の内面を抉る様な諸般の事情により、
止むを得ず死を優先せねばならなかったのだ。
さぞや無念であったろう。
そんな思いもあり、父は大きくなりゆく君のための『大盛りカツ丼』についての一考を、
今回自分の文章で記しておこうと決心した。
『大盛りカツ丼』・・・・・
世の日本人男性にとって、これ以上の感動的な言葉が存在しようか。
それはあまりに美しく、あまりに果敢ない。
例えるならば、決してそれは名画の美ではない。
歴史に名を残す名演奏家が成し遂げた、空前絶後の演奏といわれるものに直に接した様な美なのだ。
それは決して後に形としては残らない、残らないからこその美しさであり、果敢なさなのである。
そのような瞬間の至芸、迫力、悦びの凝縮がここには存在する。
父は昼間、車で道を走っていても
【激安カツ丼490円!】
と書かれた看板は、目に入ることはあっても決して注視するようなことはしない。
また、心を奪われることなどもあり得無い。
しかし小さくとも
「大盛りカツ丼」
の6文字を記した看板があったりすると、
それが自然と目に入って来てしまう。
街中の数多の看板の中からその6文字だけを自然と見つけ出してしまう。
看板の6文字が父に「見て見て見て!」と訴えて来るのである。
見つけた途端に父は少々気が落ち着かなくなる。
次第に発汗し、鼻息も荒くなって来てしまう。
そしてその店の周囲を、間違いなく車のまま最低3周はグルグル周回し、
遠巻きながらもその店の様子を観察してしまう。
また名古屋錦三の夜更けの繁華街を独り歩いていても、
髪をきちんと整え、イタリアンスーツが良く似合う、年の頃30歳少し手前といったきれいなオネーサンに
「お兄さん、ちょっとだけ寄っていってくださらない?うふふ。」
と、耳元で切なく声を掛けられようとも
心浮つくことは絶対にあり得ない。
しかしこれが
「ちょっと旦那、すっげぇうまい大盛りカツ丼、一杯どですか!」
と、威勢の良いオニーサンに、にこやかに声を掛けられた暁には、
これは一気にハアハアハアと呼吸を乱してしまう。
たちまち己のコントロールを失い、かなり危険な状況に陥ってしまう。
君は若さゆえ、つい脇道へ逸れ、
手軽で身近な「ラーメン各種大盛り」もしくは「替え玉」方面へ突走ってしまう事もあるだろう。
イエローの看板のカレーライス店方面や、
オレンジ色の牛丼店アメリカ産牛肉100%使用の「特盛」方面をついつい目指してしまうこともあるだろう。
父はそれは認める。
若い時に何よりも大切なのは経験する事なのだ。
忘れずにいて欲しいのは、他の如何なる食べ物を食そうとも
『大盛りカツ丼』こそが保守本流の真の王者であり、その王位が揺るぐことは未来永劫ありえないという事実だけである。
これは定説であり、絶対に理解しておく必要がある。
ではなぜそう言い切れるのか?
父を含めた日本人男性の、「トンカツ」という名のこの美しき食べ物に対する憧憬と敬意の念が、
世に生を受けて以来、永年に渡り自然に各個人の内々に培われ、
完全に他の食べ物のそれを凌駕してしまっている事に他ならない。
我々はそういう環境下に育ったのである。
「トンカツ=ゴチソウ」という図式は、昭和の時代に大いなる飛躍を遂げた。
父自身の調査によると、当時の少年漫画などでは、“普段とは違う、ちょっと豪華な食卓”というシーンでは、
主役の「ゴチソウ」として、卓上には皿いっぱいにあふれんばかりの大量の千切りキャベツを堂々脇に従えた、
我今皿からはみ出さんというばかりの大きさで描かれた「トンカツ」が、
ダントツの1位の登場回数であった。
テレビのドラマ等でも同様の傾向が見られ、
お茶の間の食卓を華麗に彩ったさわやかなキャベツの淡いグリーンとトンカツの黄金色が、
それを観る我々庶民の食欲を無性に掻き立たせたものである。
ちなみにコミック、テレビのアニメーション上では、トンカツを遥かに上回る「スーパーゴチソウ」として、
超豪華レストランでの会食シーン、超弩級の金持ちの自宅食堂での会食では、
あの“漫画の骨付き肉”が必ずと言って良いほど登場していたのは言うまでもない。
あれを観て、肉が大好きになった子供も多数いるだろう。
父の少年時代も、もちろんゴチソウの代名詞といえば「トンカツ」であった。
少なくとも父自身は小学生時代、思想的には「トンカツ原理主義」に近かった。
しかしそれを食した実態はといえば、1つの肉塊が幾つにも幾つにも切り刻まれ、サラダ油で揚げられ、
「はーい、一口カツねー!」との母親の声と共に、一人あたり2、3個供されていたものであった。
それを圧倒的多勢力を誇る千切りキャベツと共に、ウスターソースをだぼだぼだぼだぼと回しかけて、
殆ど真っ黒に近い状態にし、茶碗に3杯位の白いゴハンのオカズとしていたのである。
それはある意味、ウスターソースで飯を食っていたようなものだ。
しかしその中に確かに豚肉の味はあった。
香ばしく、しみじみと美味かった。
しかしトンカツ本体は、瞬く間に千切りキャベツやウスターソースの味と共に、
その一食限りで胃の中に仕舞い込まれ、完結してしまった。
そして次にお目にかかれるのは、盆か祭りか、はたまた正月か、
一体何時になるかさっぱり判りませんと言う、
実に連れないお方であった。
もし願いが叶うのなら、一度口に入れたトンカツを、
ウシの様に反芻していたかった。
その頃我が家では唯一無二のドンブリ物といえば「玉子丼」であった。
玉子丼は、清く正しいドンブリ物として、我が家の献立の中にあって、
それは朗らかな笑みを優しく我々家族に向かって投げかけていた。
裏の畑で採れた玉葱かなり大目の玉子丼に、きざみ海苔をひとつまみ、ひらひらとふりかけてもらい、
兄弟揃って狂気乱舞しつつ「うおりゃあぁぁ!」と渇食らっていた。
土曜日の昼は、これがとても楽しみだった。
子供は無論大好物、
大人も実は恥ずかしくて言えないが、かなりの高い確立で思いを寄せているのが「卵」。
玉子丼の主役でもあるこの「卵」を、この豪華的ゴチソウ「トンカツ」と一緒にエイヤっと煮合わせ、
ドンブリいっぱいの白いゴハンに乗せてわしわしわしと食べる、
幻の食べ物『カツ丼』というものがこの世に存在するという、驚愕の事実を父が知ったのは、
丁度今の君くらいの年頃だったと思う。
その存在は、何故か決して両親から教えられることは無かった。
それはある日の午後、学校から帰り、一緒に遊んでいた仲良しの友人から不意に受けた衝撃的な告白であった。
「オレ、きんのうカツドン喰った。」
「立つ鈍・・・?」
その後、その友人から、とてつもないその超弩級ドンブリの正確な名前と容姿を出来る限り詳しく聞き出した。
しかし父が実際に母親に頼み、カツ丼を作って貰い、初めてそれを口にしたのはそれからかなり後のことである。
その理由は今となってはもう思い出すことができない。
それは少年時代、未だ見ぬ人に長い間恋焦がれ、ずっと打ち明けられずにいた様なものである。
ただ、恥ずかしながらこの父は、
未だ見ぬ恋しき人間への想いを抱くよりも、
未だ見ぬドンブリへの想いを先に抱いてしまったのである。
いつか君が社会人となり、必要上様々な美味いものを口にし出すようになったとする。
「トンカツはやはり鹿児島産黒豚でないと」
「僕はヒレカツしか駄目なのさ」
などとほざいた時点で、
父は即座に君に愛の往復ビンタ10連発を食らわさねばなるまい。
男は全てのトンカツに対して敬意を表さねばならない。
ましてやトンカツに対して差別をすることなど、国連協定で許されていない。
コロモからアブラミまで全部美味しく頂くのである。
それが天に召された豚への供養だ。
そして全国各地には「ソースカツ丼」や名古屋八丁味噌の「味噌カツ丼」というのがあって、
これらがまたべらぼうに美味い。
ソースカツ丼本家説もある。
酒のあてにもなる。
しかしドンブリとしては、敢えて保守的と言われようが鬼と言われようがアホ・バカ・死ねと言われようが、
この場合「卵とじ型」を選ぶのが正しい。
出汁は全てに勝るのである。
それでも君がソースカツ丼や味噌カツ丼、ましてやデミカツ丼の方が好きだと言い放った時点で、
いよいよこれは親子の縁を切ることを真剣に考えなければならない。
正しい卵とじ型のカツ丼の美味さ自体は言わずものがな、すぐに理解できるだろう。
体調面で余程の事が無い限り(猛烈な二日酔・コレラ等)
食べて後悔することが殆どあり得ないドンブリ物なのである。
カツ丼の味付けは至って単純ある。
醤油と味醂ベースである。
特に出汁を多く含む蕎麦屋のカツ丼が押しなべて外れることが無いのは周知の事実である。
関西風の、玉葱を煮て卵をとじ、揚げたてのトンカツにかけるというものよりも、
トンカツ自体も割り下で多少煮込み、コロモが赤茶色に甘辛く仕上げる関東風の物が好ましい。
当然蕎麦屋のものならなお良い。
一緒に煮込む緑のものは三つ葉でもグリーンピースでも構わない。
元々洋食のトンカツを甘辛く煮込んで無理矢理和食に仕立てたのが現在のカツ丼の姿である。
だから三つ葉を載せようがグリーンピースが来ようが全然構わないのである。
大切なのはその下のものである。
卵は煮込みすぎてはならない。
溶き過ぎていない半熟のものに限る。
逆に玉葱は煮込みが足りずに辛くなってしまってはいけない。
これが掟なのである。
カツ丼は多少冷めても美味いと思えるのが、
麺類はじめとする、他の炭水化物菜単群と比較して大いに勝る、
カツ丼の大きな強みである。
つまり食べている途中に麺が延びてしまっただの、スープが冷めてしまっていただのという、
悪しき影響、苦情、クレームの類を受けにくいのである。
だから大盛りと言えども安心して注文しやすいのだ。
店も作り手も食べる場所も選ばない。
素晴らしき事ではないか。
先程来述べている蕎麦屋の丼。
いつも初老の主人が黙って作ってくれる近所の鄙びた定食屋の一杯の丼に快哉を叫ぶ。
君が将来ひとり住まいをする事があるのなら、ぜひカツ丼を自炊で作ってみて欲しい。
持ち帰り弁当屋のカツ丼も意外と美味いものだし、
コンビニエンスストアのものは、大量販売の必要と実績があるだけあってこれは美味い。
添加物などこの瞬間は気にしないことだ。
それよりも屋外で、陽光を体いっぱいに浴びながらカツ丼を食べるのは、なかなか洒落たことではないか。
我々にとって、様々な場面に於いて『大盛りカツ丼』と対面し、
今正に突き進まんとす、という瞬間は、
是正に至福の極みなのである。
しかしただ一ヶ所、一ヶ所だけ、
親として、ここのカツ丼だけは食べて欲しくないという所があるので、
背筋を正して聞いて欲しい。
それは「取調室」である。
警察の取調室・留置場関係のカツ丼だけは勘弁して欲しい。
確かに店屋物であろうし、我々がテレビや映画などで観て来たいかなる場面も、それはたいそう美味そうであった。
一瞬「容疑者になりたい」と思うこともあった。
きっと話の種にもなるだろう。
しかしそんな誘惑に釣られて、ここのカツ丼を食べる事になってはならない。
カツ丼好きである前に、ここはやはり人間であって欲しい。
実際問題、今では「大盛りカツ丼」にはなかなかお目にかかれなくなってしまった。
あのラーメンドンブリいっぱいのご飯に、大人の両手大の大きなトンカツが乗った、
決して卵と玉葱の分量でごまかすことのない『伝統的大盛りカツ丼』を、
親としていつかは教えなければならない時が来るだろう。
しかし如何せん悲しいかな、父はその頃君と共に大盛りカツ丼を食べきれる年歳ではないかも知れない。
ただ、気持ちだけは負けないように『大盛りカツ丼』の方面に真っ直ぐ向かい、生きて行くつもりだ。
その時には父は「カツ丼の正しい食べ方」についても語ることになるだろう。
楽しみに待っている。
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最後まで下らない文章にお付き合い下さり、ありがとうございました。
3周年のプレゼントは、今回のこの「クラブ・レコルト」がお手元に届き次第スタートとさせていただきます。
ぜひご来店ください!
可愛い可愛いプレゼントです。(TSUKA)